朝日新聞公式ツイッターより中村憲剛さんの選手時代の写真
サッカー選手 とは不思議なもので、背番号の数だけたくさんの人の思い出が詰まっています。今回はその中で「 14番 」という背番号にスポットを当てて、偉大な日本人選手をフューチャーしていきたいと思います。
「14番」を着た日本を代表する2人の名選手|偉大なる背番号の歴史
14番の伝説は「ヨハン・クライフ」から始まった
サッカーダイジェスト公式ツイッターより画像引用
ティエリ・アンリ、シャビ・アロンソ、ルカ・モドリッチなどなど多くのサッカーの名手が背番号「14」を背負いましたが、その始まりは「ヨハン・クライフ」でしょう。
オランダ代表・アヤックス・バルセロナの名手としてその背番号「14」は常に輝きを放ちました。世界中のサッカー少年が目を輝かせながらそのプレイを見ていたのでしょう。
多くの「14番」を背負う選手がクライフ選手の影響を受けていると言っても過言ではないのかもしれません。そんな背番号「14」について、個人的に印象的な選手を二人だけ厳選して紹介します。
小野伸二(フェイエノールト)
サッカーダイジェスト公式ツイッターよりフェイエノールト時代の小野伸二選手
オランダの名門フェイエノールト時代にはじめの3シーズン、小野伸二選手が背負っていた背番号が「14」でした。4シーズン目から「8」を背負いましたが、個人的には「14」のイメージがとても強いです。
このときの小野伸二選手の何がすごかったかというと、2001ー2002シーズンのUEFAカップ(今のヨーロッパリーグの立ち位置)を制したことです。名だたる欧州の強豪チームを破っての優勝に日本人のサッカーファンがとても興奮したことを覚えています。
その後の小野伸二選手の背番号遍歴を見ても、14番を背負ったのはフェイエノールト時代のみなのですが、当時のインパクトが強すぎて個人的には小野伸二選手の背番号といえばこれ!というようなイメージを持っています。
中村憲剛(川崎フロンターレ)
朝日新聞公式ツイッターより中村憲剛さんの選手時代の写真
日本人の中で「14番の選手といえば?」と聞かれたら、ほとんどの人が「中村憲剛」さんと答えるでしょう。それほど「14番」という背番号のイメージが定着しています。
正確無比なパス精度で和製ピルロと言われ、川崎フロンターレの心臓として18シーズン戦い続けました。こんな長い年数を一つのチームだけに尽くし、そして最後はJリーグと天皇杯の二冠を達成して引退をするなんて、まるで漫画のヒーローであるかのような素晴らしいサッカー人生を送られましたね。
川崎フロンターレが二度目のJ1昇格を果たした2005シーズンから優勝を目指し、戦い続けましたが準優勝止まり。シルバーコレクターと言われた時代もありました。
2017シーズンの涙の逆転優勝。中村憲剛選手の涙に多くのサッカーファンが心を打たれていましたね。あの姿がどんなに欲しかったタイトルだったのかということを思い知らされます。
スタートはJ2所属のチームで、同じチームに所属し続け、最後は優勝。サッカーの神様がいるならば、本当にありがとうとお伝えしたいです。本当に川崎の偉大なるバンディエラでした。
今シーズンからこの「14番」の背番号を後輩の脇坂泰斗選手が引き継ぎました。ユースから大学経由で川崎フロンターレへ。その後は川崎一筋で日本代表候補まで登ってきた選手です。
そんな脇坂選手が「14番」を自分の背番号にしてくれることを心から願っています。
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